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月影日記

jose84.exblog.jp

この世を照らす光あらば、闇夜を斬る影もあり

3月中旬の中国地区大会から、今年も3月・5月・9月・10月と地区大会ならびに
全国大会での試合演武が始まります。
私は競技での演武はもうない段位ですので、これらの競技用に稽古する
道場生たちに指導するのが役目。

私にとって「型」は何度も述べていますが、居合を習得するための
稽古方法のうち、最も大切な稽古として、その身体の動かし方を学ぶもの
なのですが、競技での型は、その優劣を競うものとして審査されます。

私の所では、他の道場での指導を受けた方も数人いたり、大会時や講習会等で
他の先生からご指導頂いた方もおり、「型」の解釈を照らし合わせる
機会も多々あります。

本来は、既に述べております通り、剣術における身体操法のエッセンスが
凝縮している型から、その理論を理解し、体感し、どこまで習得できているかが
大切だと思いますが、なかなかそうではなく、「ここを、こう斬らなければ
ならない」とか、「こういう形にならなければならない」といった、
手順と外見的フォームを目標にしたものや、型で想定されている場面設定など
が違ったものなど、様々な解釈がある事に困惑する事がよくあります。
それどころか、時代劇のような雰囲気なども一生懸命の方もいるようです。

競技に出る以上は、トップを目指し、良い成績を取りたいと思ったり、
成績が悪いとガッカリするのが普通。
こちらとしては、競技に出す以上は、自身の考えを割り切って、
勝てるように競技用の指導もします。

問題は、どのように採点し、優劣をどのように判断されたかが、
競技者に伝わらない事。
スポーツ界では、演技について、審査項目が明らかで、その採点評価が
公表され、審判の採点や判定に疑義が生じると協議があったり、
場合により判定が取り消されたりしますし、その様な事が無いよう
判定システムや公表について客観的信頼度を高める改正をします。

居合での競技においてどこまで求めるか、個人的には先に述べました通り、
「型」への考えが違いますので、関心度は低いのですが、それでも
競技に出る道場生たちのためには、どのような評価をされたかは、
以後の稽古に役立つ大切な事だと思います。

型の剣理・解釈を指導する立場のほうにも責任がありますので、
そのバラツキを改善するためにも、考えた方が良いと思うにですが。


# by yonagosinbukan | 2020-02-21 10:25
毎週定例の道場稽古では、とかく型の手順を追いかけて、
サムライ気分よろしく動作したり、地区大会や全国大会での
演武による競技で優勝を勝ち取るための稽古を目にするのですが、
私は三段くらいの頃から、そんな事に興味なく、ただ古武術の
習得を基本においてきました。

指導する立場にもなって、上段位の先生からの指示で、通常稽古を仕切ること
となっているのですが、私と居合稽古に対する価値観や意識が
同じ者たちばかりではないので、若干の困惑はあるものの、
そこは割り切って、道場の稽古はしているところです。

さて、そんな通常の道場稽古なのですが、年に数回、私の求める居合の
稽古を古武術に関心のある数人たちと稽古を行う機会を持つようにしています。
この稽古では、「型」の剣理解説だけでなく、そもそもの古武術とは
という原理原則の基本を日頃の自身の「型」に照らし合わせて
検証するような稽古をしております。

今回は、それに加えて、そもそも「刀」の知識があまりにも無い
人が多いので、というより、美術的な刀鑑賞ではなく、武器としての
刀の知識が無いので、そのあたりについての座学も行いました。
刀を知らない居合術などあり得ませんので。

勉強会としての補完稽古、午前の座学2時間、午後の実技稽古3時間の
計5時間にわたる稽古会でしたが、あっという間のように感じる稽古会となり、
これからの通常稽古に役立つ、あるいは刺激となる稽古になったと
自画自賛しております。




# by yonagosinbukan | 2020-02-16 23:57
先日、奈良・春日大社の国宝殿で昨年12月28日から開催されている
「最古の日本刀の世界~安綱・古伯耆展」に出かけてきました。
「安綱」の太刀は、現在に至る反りの有る刀剣の祖と云われ、
なかでも「童子切」は、酒呑童子の首を刎ねた伝説をもち、
源頼光以来、天下人の手を渡り、松平家から国宝第1号として
現在の東京国立博物館に収蔵されています。
その太刀姿、地、波紋、由来などから天下五剣のひとつ。

久しぶりに「童子切」を目にしたのですが、やはりその姿は美しく、
現代刀のようなギラギラとのっぺりした地とは全く違う風格ある地・波紋。
何度観ても、時間を忘れるほど静かな気持ちで見入ってしまいます。
神仏に対する思想・信条や向き合い方など、今の時代とは全く違う時代、
刀剣の持つ意味も、単に武器として身に付け、使うというものでは
無い事が良く分かります。

武器である事と美術性を併せ持つ、あの堂々たる風格と品格。
あの感じが居合道家として身に付くのが理想ですね。

# by yonagosinbukan | 2020-02-06 10:21
新しい年がはじまり、11日に初稽古をし、今年の稽古がスタートしました。
道場では、特別に何か変わった事もなく、稽古内容も従来通り。
五段以上と、それ以下の者に分かれ、私は低段位の者たちの指導。

私はここ2年間くらいは新たな入門者の指導をしていますので、
土曜日の道場稽古では自身の稽古は出来ないのですが、
基礎を指導しながら現代人の体の使い方で改めて気づく事もあり、
それはそれで勉強になります。

私個人は、毎週の定例稽古以外に稽古する機会をつくりながら、
日頃のちょっとした時間に「こうかな?」「どうかな?」と
体を動かしてみたり、普通に生活している時や歩いている時などに
古武術的な動きをしたりして感覚を体に染み込ませるように
意識しています。つまり、古武術的身体操法の日常化です。

そんな日常ですが、毎年私は、一年間の稽古の基本テーマと
重点的に稽古する「型」をひとつ決めています。
今年は「順体と浮身」、型は「前」。
武術の基本と流派の基本技を再確認です。

# by yonagosinbukan | 2020-01-22 10:02
先日、道場に通う数人の会員と、日頃の稽古ではじっくり出来ない
身体感覚を養うような稽古をしました。

通常の稽古はじっくりと型の本質的な身体の感覚や
動きを繰り返し練るだけの時間はなく、個々の日頃の自主的な
努力にまかせているのが現実です。

しかし、これではなかなか型のもつ意味や目的を正確に理解する
事はほとんどあり得ません。

そこで時々、古武術としての居合への研究心のある者で、
補完稽古を行っています。

先日は、正座の型「前」を最初に行い、この質的転換のための
感覚を味わう稽古を中心に行いました。
はじめて経験する者もおり、何が何だか解らない者もいましたが、
それでも日頃の稽古で自身が行っている「型」が、如何に形骸化
しているか、少しは感じられたと思います。

言葉では伝えきれない感覚をつかむというのは、とても大変な事ですが、
それでも稽古なしで習得する事など絶対にあり得ません。
本物志向というのは、いまだ見えない掴めない目標であっても、
ひたすら稽古を続ける好奇心や探求心が継続して求められるものです。



# by yonagosinbukan | 2019-10-24 22:28
先日、開催された全日本居合道連盟の競技大会をみて感じた事が
いくつかありました。

まず一点目は、恐らくですが、指導者の世代交代が進んでいる事。
英信流でいえば、22代宗家がご逝去され、23代宗家となりましたが、
各地の指導的立場の先生方にも世代交代があるようで、日頃の稽古の違い、
指導の違いが各選士に垣間見え、全体的にバラツキ感を感じました。

型に対する認識を深める過程で、色々と考え、解釈を巡らせ研究する事は
良い事だと思います。が、勝手な解釈で、術技の理論が外れていくと面倒な
事になり、それをまた、形骸化する方向で統一を図ると重大な方向性の
違いにつながりかねません。
「演武」の形ではなく、術理の再確認が求められているのではと私は
感じました。

二点目は、組織が形式的になり、武道団体としての雰囲気が変わってきた事。
以前はもっと精神性を意識した雰囲気があり、一部の幹部の先生の影響か、
段位や役職の序列を盾に威張ってるだけのような行き過ぎたところもありましたが、
それでも現代に通用する武士道を意識された高段者の先生方の影響があったと
おもいます。
「今どき」と揶揄される若い方たちとのコミュニケーションを大切にしながら、
会員獲得、組織維持を図る事は大切ですが、武士道、武道から外れての
サークル化は、これまた形骸につながります。

心得ておくべきことは、古武術である居合術の稽古を通じて、武士道を学び
人間性を磨く事。
術の習得度の高い低いではなく、命の遣り取りをしてきた術の理論を追求し、
正しさを意識して、学ぶべきものは何か、どういう事から稽古を重ねるのか、
約400年前から約150年前までの270年間に武士たちが試行錯誤しながら
作り上げてきた実践理論は、現代の平和な環境に生きるなかでの常識や
スポーツに影響された個人の数十年の経験だけで勝手な解釈をされるほど
薄っぺらなものではありません。
まさに「稽古」。
武士の実践理論がつくりあげた「型」の意味を深々と考え悩みながら
稽古する事が大切です。

# by yonagosinbukan | 2019-10-09 18:08
先日、所属する中国地区連盟の居合道大会があり、大会出場する
道場生たちと出かけました。

この居合道大会で気になった事は、同じ流派の型の演武で、
それぞれ(道場毎、指導者毎)の違い。
剣理については、宗家講習会や高段者講習会をはじめ、
これまで伝わってきていると思うのですが、試合に出場した
剣士の演武をみると、場面設定は何となく同じのようですが、
どの様な状態の相手の、どこを、どのように斬るのか、
そのための、体の使い方は、刀の使い方は、といった各所に
違いがあり、また、段位の低いところでは、技の習得のために、
型を学ぶ際に、どの様な事から順に習得させるのか、どんな事を
重要視して学ぶのかといったところに大きな違いを感じました。

22代宗家が生前(2~3年前)、「みんな見栄え良くやっているが、
このままでは英信流がダメになってしまう」と、それまでニコニコ
していた顔つきから怖いような顔つきに変わり、私に耳打ち
されました。

私は他の先生方をどうのこうの言う資格もなく、筋合いもなく、
ただただ自身の居合を高める稽古を重ねるのみなのですが、
無双直傳英信流とはどのような居合なのかと問われた時、
「色々ありますが、私は古武術の身体操法に拘ってます」と、
言うしかありません。

最も重要視される「型」の稽古、なぜ「型」が重要なのか、
「型」から何を習得するのかについての考え方が違えば、
おのずと居合が全く違ったものになるます。
習得しようとしている目標が、武術なのか、それとも演武なのか、
そこを間違えずに稽古を重ねたいと思います。






# by yonagosinbukan | 2019-09-18 10:27
日曜日、久しぶりに希望者での補習稽古をしました。
通常の稽古日は、通し稽古で多くの時間を使い、
それぞれが入念に繰り返しひとつの型を稽古をしたい、
あるいは上位者に自分のをみてもらい、指導されたい。
その様な道場生のために時々行っている稽古です。
この稽古では、基本的に演武ではなく、原理を丁寧に
習得していくよう心がけています。

型は、見た目のカタチを同じにする事が目的ではなく、
術を習得するための稽古方法で、刀の特性を踏まえ、
如何に体を動かすかの理論があります。

よく「理合」とか「術理」と言っての説明を聞いていると、
場面設定や止まった時のカタチの説明だけをされている方が
いますが、肝心の古武術の原理・原則に沿った身体操法を
理論的に説明されている姿は私の周りでは見ません。
残念な事です。

約400年前から、命を懸けた実戦経験を踏まえ、研究され、
受け継がれてきた古武術の体の使い方は、明治以降は
急速に廃れ、忘れられ、現代人のほとんどは、知識も感覚も
持ち合わせていません。
わずかの古武術を受け継ぐ方たちが、その研究と継承に
努力されています。

失われつつある日本の優れたものを、何とか研究し解明し、
守っていく事、これが古武道、古武術を自負する者の使命です。

# by yonagosinbukan | 2019-07-22 17:02